実家の母は70歳。
25日に白内障の日帰り手術をしました。
私が嫁に来て夫婦二人きりになり、自分の時間も出来てからも、パート(65歳くらいまで行っていた)で色々働きながらも毎日スポーツジムに通って、シニア水泳大会にドイツまで行って出場したり、日本舞踊(?)にカラオケ教室、老人ホームのボランティアなどをこなし、元気ハツラツな母である。
が、寄る年波には勝てず、徐々に白内障が進行し、手術に至った。
ママが看護学生のころは、白内障の手術は1週間程度の入院が必要で、術後数日間ベッド上で仰向けで寝たまま、ご飯も寝たまま、トイレもベッド上で介助でするというくらい厳重な術後管理だった。
けど今は日帰りで出来る手術になったんだな~進歩したもんだ
でも、術後のクリニカルパス(術後日数に沿って日常生活の注意点や治療方法などを表にしたもの)を見ると、術後家に帰っても2~3日はご飯とトイレ以外は出来るだけ仰向きで寝ているように、下は向かないように、お風呂もダメというものだった。
なので、火曜から毎日片道1時間近くかけておさんどんしに実家へ通った。
いつも元気ハツラツ、その年でなんで私より元気なんだ??ってくらい元気な母が、白内障の手術でたいしたこと無いとはいえ、眼帯してヨロヨロゆっくり歩く姿は、もう年なんだよなぁという現実をママに痛感させた
でも、昨日には眼帯が取れて、視力も大分回復していたらしい。
今日はもう普通に元気に歩けていた。
順調な経過を辿っていて、良かった良かった
写真は家の裏手にある藤の木。
藤は「不治の病」の不治として縁起が悪いから家に植えてはいけないという所もあるけど、「不死」として縁起がいいというと言うころもある。
前向きな母は、後者の方を信じて家の裏手に植えて藤棚を作っているんだけど、年々立派になり、毎年きれいに花を咲かせている。
この立派な藤の木のように、両親いつまでも元気でいて欲しいと思います
今回、仕事を辞めると決めたとき、両親はなんて言うだろう、父は昔から私のすることには全く口は出さない甘甘だったが、母は「看護学校まで行ってせっかく今まで続けてきたのに、辞めるなんてもったいない」と呆れるだろうか?怒るだろうかと、打ち明ける時は内心ちょっと心配だった。
8歳上の姉はバリバリ現役で看護師長をしているし。。。
しかし予想に反して「今まで良く頑張ってきたし、しばらくはゆっくり休んだらいいやん。子供もお母さんが家におったら喜ぶやろし」と言ってくれた。
辞めると決めてからも、迷いがあったり学校まで出してもらった両親に申し訳ない気持ち、この年だったらまだまだ働かないといけないんじゃないかとかいう罪悪感、いろんな人に、しばらく休んだらいいやんといわれても拭い去れなかったモヤモヤした不安な気持ちが、母親にそういわれたとたんに嘘のようにス~っと楽になった気がした。
母親って偉大だねぇ
子供たちが大人になったとき、自分もこんな風に思ってもらえる母親になりたいって思ったよ
今のままの私じゃ無理っぽいけどね
今日はちびごんの授業参観が1時間目だった。
父が用事でいないので、母を病院に連れて行くために参観が終わってからダッシュで実家へ。
母が受診待ちの間、待合室は込んでるし、ママが座る椅子もないので近くをブラブラ散策。
病院はちょうど姫路の総社(神社)のそばだったので、懐かしくなって行ってみた。
実家の初詣と言えばここで、毎年家族揃って総社に来ていた。
いつもは静かな総社も、今日は七五三と結婚式で結構賑わっていた。
かわいい絵馬がたくさん吊ってあって、「さかあがりができるようになりますように」「ともだち100にんできますように」とかわいいお願い事がたくさん書いてあった
七五三しているとことから少し奥に行くと割と静か。
いろんな木が植わってて、鳥居が1~2メートル間隔でいくつも並んでる所があって、その上に苔が生して何かの種がこぼれたのか小さな芽がでている。
時間がそこだけゆったり流れているような感じがして、なんかすごく気持ちが落ち着いていい時間でした
な~んてかっこつけても、母を待ってる間にお腹がすいて七五三の賑わいついでにたこ焼き屋さんの屋台でも出てないかな~って思って探しに行ったんだけどね(笑)
残念ながらたこ焼き屋さんは出てなかったよチェッ。。。
と神社で不謹慎なこと考えながらも、家族の健康と幸せを、少ないお賽銭で熱心にお願いしてきたママなのでした~